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13日の午前の前半は源氏物語翻訳の分科会に参加しました。
私は高校時代古典の時間に読んで(というより授業を受けた程度)以来。今年は源氏物語の千年紀であり、あちらこちらで源氏の特集や展示がされている。最近になって、源氏物語を真面目に読んでみようかな〜?と思うようになった。昔も今も、人の気持ちや人間関係は変わらないし、政治も普遍的なところもあるので、興味を持って読めそうと思うようになった。この際だからどんなことを話してくださるか興味を持って参加してみました。
この分科会は源氏の内容ではなく、源氏物語の翻訳をどのようにしたか?でした。この分科会の主催者である藤本達生さんは今、源氏物語をエスペラントに翻訳中。
まず、「その年の夏」をどのように訳すか?訳し方はいろいろあるけど、翻訳作業というのは一つに決めて訳さないといけない。単語の訳が決まれば翻訳は決定するとおっしゃっておりました。
みんなで考え、いろいろ案を出しました。その中の一つ(Somere de tiu jaro)が、実際の翻訳に使われているそうです。
藤本さんは「中井和子」さんが翻訳された本を元にエスペラントに翻訳しているそうです。はじめは「瀬戸内寂聴」さんの翻訳を元に翻訳されていたそうですが、彼女が原文に注釈をつけて翻訳した部分が多かったので、辞めたそうです。
源氏物語を全部読んだわけではなく、章ごとに読んで訳すようにしているそうです。最後まで話がわかっていて訳しているわけではないと。
翻訳に必要なのは原文に忠実に訳すことであって、物語の内容を知っている必要はないとおっしゃっておりました。
藤本さんはある時期、「天皇」を「mikado」(エスペラントで天皇はmikadoと言います)と訳さず、他の訳し方がないか模索した時期があったそう。なぜ模索したのか?の質問に「原文に帝と書いていなかったから」と。
「我輩はねこである」を"Mi estas kato." にすると「私はねこである」となり意味が変わってしまうと。"Mia moŝto estas kato."とすると「我輩」的な感じが訳にでると言っておられました。moŝtoとは閣下とか陛下という意味だそう。
長い文章は「;(セミコロン)」を使用して区切るようにしているそうでう。良いアイデアだと思いました。
私は日本人なので、エスペラントで読むくらいなら、古語のままで古語辞典を引きながら読んだほうがいいのかな?
画像は藤本達生さん。
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