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The Starと藤楓協会だよりの差

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月21日(火)22時50分21秒
返信・引用  編集済
  やはり不思議である。

 ハンセン病問題を論じるにあたって、真実が大事なことは言うまでもないが、ハンセン病菌の侵入経路が 1)主に上気道経由 2)二次的に傷ついた皮膚経由とあるのはThe Star誌であり、またハンセン病のWikipedia も同様である。これに反して代表的な日本の啓発誌である藤楓だよりには 皮膚経由しか書かれていない。

 現在なら、上気道経由は受け入れると思われるが、私は最初に「菊池野」に書いた時は、早速つるし上げになって、私は「菊池野」お出入り禁止になったのは前に書いたとおりである。

  看護婦のために 菊池恵楓園 昭和54年 という小冊子(プリント)によると

 1)皮膚から皮膚へ Skin to skin
      露出部の損傷から侵入(キズ口)濃厚頻回感染を受けた場合

 2)まれには口腔、鼻腔粘膜からの感染

 3)らい菌が付着した衣類や器具などによる間接感染

 とある。看護婦が苦労して編集した小冊子であるが、参考書は記載なく、基本科は春日先生は病床にあり野口婦長が書かれたとある。何らかの参考書に上記の記載があると思われる。
 

ペーパーナイフあれこれ

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月21日(火)16時47分20秒
返信・引用  編集済
  ペーパーナイフに関して Wikipediaで 書いてきました。

 あっちこっちで ペーパーナイフを求めたので 少しは書いてみたくなった。

 なに たいしてことは書いていません。ドイツ語でBriefoeffinerということ。

 店員は小生の発音はよくわかったと思われるが、あまり聞かない言葉なので聞き返された。あはは。Haben Sie Briefoeffiner ? Zeigen Sie etwas. Ist das das Beste was sie haben ? (まちがっていたら訂正してください)

  蛇足:土産物でなくて実用的なのはベルリンの百貨店にあった。3種求めたが、実用的で優美な形をしている。土産物みたいにゴタゴタしていない。値段は10ユーロ。さすがゾーリンゲンの国かな。お勧めです。

 高かったのはマイセンの陶器がついたもの。155ユーロ。実に美しい。うっとり。イギリス、アラスカにもあったが、優美なものを買わないといけません。

 昔は日本でもいろいろあったが、飛行機旅行で、手荷物にならないので(危険物となる)それで、製造しなくなった。実にけしからん。

 日本製品で気に入っているものは大昔?鳥取県で皮膚科学会があったとき、出雲で求めた古い剣の形をしたペーパーナイフで、今回ハンセン病学会があったので探したがもうありません。日本では昔の剣を模したものがあるが、貧弱なものはあんまり気に入らない。

 ●大塚薬報かなにかに、飛行機の手荷物にならないので、珍しくなった(収集しにくい)のでコレクターになったとあり、なるほどと集めだした。なに封筒の方はばりばりと手で破ることもある。本当はハサミがいいですね。ものぐさより。
 

「日本のハンセン病問題」を整理する

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月21日(火)15時48分36秒
返信・引用  編集済
  というより成田先生の「日本のらい対策に何を学ぶか」の内容をどこかに入れたいのであるが。

目次 [非表示]
1 ハンセン病と日本社会
1.1 日本の療養所の現状
1.2 日本の療養所の特色
1.2.1 慰安と文化
1.2.2 結婚と出産
1.2.3 宗教
1.2.4 葬儀
1.2.5 給与金制度
1.2.6 教育
1.2.7 雑誌
1.2.8 療養所に併設された刑務所
1.2.9 不自由者への工夫
1.2.10 療養所における非らい(Non-leprosy)
1.2.11 熱傷
1.2.12 入浴と熱を加える療法
1.2.13 神社
1.2.14 療養所の職員人事
1.2.15 療養所におけるボランティア
1.3 差別に関するトピックス
2 日本のハンセン病政策と事件の歴史
2.1 近代以前
2.2 昭和時代
2.3 近代のハンセン病政策
2.3.1 太平洋戦争前
2.3.2 患者懲戒検束権
2.3.3 断種・優生政策
2.3.4 太平洋戦争後
2.4 現代の状況
2.5 ハンセン病補償法訴訟
3 ハンセン病に関連した歴史事項
3.1 明治時代における救済
3.2 湯の沢部落
3.3 外島保養院と水害
3.4 戦争時の状況
3.4.1 太平洋戦争と朝鮮戦争
3.4.2 宮古南静園、沖縄愛楽園と小鹿島更生園の終戦
3.4.3 満州にて発病後ソ連の療養所に入った話とその後のエピソード
3.5 戦後の韓国の状況
3.5.1 ハンセン病に関する韓国の戦後の年表
3.5.2 韓国ハンセン病界の戦後の歴史
3.6 歴史的に弊害となった事項
3.6.1 らい恐怖症とらいの告知
3.6.2 ハンセン病と仮病
3.6.3 ハンセン病と偽名・仮名
3.6.4 ハンセン患者の自殺
3.6.5 ハンセン病に似た病気を発病した職員に対するいじめ
3.6.6 ハンセン病にかかわる怪事件
3.6.7 ハンセン病問題に関連した過去の制度
4 日本のらい対策と日本の医師の発表
 4.1.歴史に関して
 4.2.らい予防法に関して
 4.3.絶対隔離・光田イズムに関して
 4.4.化学療法に関して
 4.5.らい予防法廃止に関して
 4.6.社会啓発に関して
 ●成田先生の本は、古い文献、ハンセン病学雑誌、日本発行の本、全患協ニュースはよく調べられているが、The Star や皮膚科関係雑誌、外国の文献はさっぱり引用していない。The Starは資料館にもあると思うが.....


4 ハンセン病問題に関連した人物
4.1 ハンセン病政策に関わった人物
4.2 ハンセン病患者救済に尽力した人物
5 ハンセン病問題に関連した機関
5.1 藤楓協会
5.2 ハンセン病問題検証会議
5.3 ハンセン病市民学会
6 ハンセン病問題に関連した文学と研究
6.1 文学
6.1.1 短歌
6.2 記録およびエッセイ
6.3 物語
6.4 研究
7 関連項目
8 参考文献
9 外部リンク
 

文献60:Hansen病の理解

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月20日(月)15時55分33秒
返信・引用  編集済
  Hansen病の理解 Ichiro 皮膚病診療 25,4,387-392,2003.

ユニークな展望
 1.啓発資料によるHansen病の説明:何故かthe Star と 藤楓だよりは違うんである。
 2.戦争を通してHansen病を理解する:宮崎先生と高島先生の研究
  研究者の発表、戦時中の死因
 3.変形の理解:変形は神経が侵されているから
 4.Hansen病の流行の理解:ハワイでは1割、ナウル島では1/3が罹患したが何故か
 5.ダミアン神父は感染・発病したのか:発病したメカニズムを問う
 6.Hansen病にみられる神経痛:どういう特徴があるか
 7.Hansen病患者は何故神社仏閣に集まったか:昔からである
 8.明治時代のHansen病の理解:当時も差別があった
 9.理解しにくい臨床:男性が多く罹患するのは何故だ
 10.Hansen病患者の艱難辛苦:たいへんでした
 11.らい予防法下のHansen病療養所:ううむ
 12.おわりに

 ●定年を前にまとめてみました。ロンドン大学のCalnan教授も Eczema for me だったか
その時期の理解を記録した素晴らしい論文があります。これは、要するに当時私が考えたことを書いて、後年参考にしようとしたものです。ジャンルは 展望 というものでした。
 

上気道説の経緯

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月20日(月)08時23分16秒
返信・引用  編集済
  色々の文献により 上気道説と皮膚説の取扱をみてみよう。

 The Star 裏表紙 いつから上気道説かは不明
      少なくとも1987年は上気道説が裏表紙にある。
     1991年 50巻5号 (Vol. 50, No.5)
          ●上気道説は今までどうり。初めて障害を受けた皮膚経由説が2番目にでてくる。この年ごろ、そういう説が言われ始めたわけではないが、Ichiroの考えによると、たまたま、カーヴィルの医師のチェックが入ったのであろう。

 藤楓だより:すべて皮膚経由説。Ichiroが所有している一番古い昭和58年版はくりかえして接触感染とある。昭和63年ははっきり書いていない。尤もその号の先の方を読むと東北新生園の真山旭園長により乳幼児の時の繰り返す接触が記載されています。

 ふれあい福祉だより:皮膚接触説のみ。

 ハンセン病アトラス 2006年 金原出版
           最近の教科書であるが、なぜか書いてない。編集者に文句を言おうと考えた時期があったが、まだ言っていない。(この項 Ichiro)

  総説 現代ハンセン病医学 東海大学出版会 2007

        ハンセン病の疫学によると
    第1回国際らい学会議で上気道説がでた(1897)
        1955 Khanokarより皮膚説(文献引用なし)
    その後上気道粘膜説が有力になる(文献引用なし)

 日本皮膚科全書 らい 佐藤三郎 昭和29年 (一部皮でできた豪華本)

  らい菌の侵入門戸 皮膚ついで粘膜の傷から侵入すると考えられる。呼吸器、消化管からの感染は考え難い。

 うまく乗り換えた説明
 ハンセン病について 尾崎元昭 1996
 >らい菌の侵入経路は、従来、皮膚を介しての直接的な接触感染が主と考えられていた。(中略)近年、気道からの感染が重要視されるようになってきた。皮膚表面よりも鼻のほうが菌数多く、菌の活性も高い、鼻粘膜からの飛沫や分泌物が吸入されて感染がおこるのも、広義の接触感染と理解される。
 ●●ちょっと、この表現いいのかな。


  ●私が菊池野に出入禁止になったのは、上気道説をストレートに飛沫感染説と書いたのが原因でした。もっとも、色々判りやすいように書いたが。
 

昭和38年:らいの権威者は感染経路をどう考えていたか

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月20日(月)02時50分50秒
返信・引用  編集済
  昭和38年 らいの権威者は 感染経路をどう考えていたか

 成田稔 日本のらい対策から何を学ぶか 明石書店 2009 447-448ページ

 阿部秀直(上気道) 上川豊(皮膚粘膜) 矢島良一(反復接触、皮膚粘膜の小傷) 林芳信(家族間接触感染) 稲葉俊雄(開放性患者との接触、皮膚粘膜) 守屋睦夫(接触)野島泰治(強いて言えば結核に類似) 田尻敢(皮膚接触、胎盤感染は問題なし)

 特に興味あるデータである。私が勝手に2009年時点で採点しよう。

 90点 阿部 野島
 30点以下 他の人

 根拠 現在は主に上気道感染(一瞬と考える)、そして例外的ではあるが経皮膚(傷より)感染が考えられる

  私が上気道感染説(飛沫感染説)をすぐ納得したのは、ネズミの実験もあるが、それよりナウル島の感染が島民の3割に及んでいることであった。これは上気道感染でなければ説明がつかない。

 小生は平成元年から菊池恵楓園に勤務したが、Joplingの Handbook of Leprosyにより上気道説を信奉していた。実は昭和時代よりThe Starを読んでおりその裏表紙にも上気道説が書かれていた。そしてそのThe Starには 傷ついた皮膚経由説が追加になった。
 ●実は上気道説(飛沫感染説)を堂々と菊池野に発表したら、逆鱗にふれたらしく、菊池野はお出入り禁止となった。壁をこえてにも、私の発表は無視している。しっこいのう。
 ●問題の発表:医療講座 ハンセン病について 菊池野 467:2-6,1993,11.
 ●●光田健輔は どう考えたか。光田派としてはこの中に林がいる。
 ●●勉強家は野島か。あとはよく知らぬ。阿部さんを調べてみよう。
 

大文字だけのメールアドレス

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月19日(日)22時35分53秒
返信・引用  編集済
  大文字だけのメールアドレス

 現在は小文字で統一されているが、最近全部大文字というのがあった。勿論、使用できたが、アレッ という感じであった。
 因みに私のメールアドレスは最初は3文字が大文字、その後小文字に訂正、@以下のnifty.or.jp などは変化があるが 最初から最後まで前は不変である。

  小文字に統一されていると、確かにシフトキーを押す手間が省ける利点はある。

 蛇足:小生はモノグサであります。
 

Sir(敬称)は使わなくなったか

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月19日(日)06時02分39秒
返信・引用  編集済
  英語会話の勉強です。

私が若い時は 目上の男性は sir また 目上の女性には ma'am (ま 正確には madam)という敬称をつけることを教わった。Yes, sir. とか Yes, ma'am. という如きである。

 この言葉は特に軍隊で上官には使われているようである。私も沖縄で会った米軍軍人に sirをつけられて、ちょっと感激した。しかし小生が老齢に入っていたからかなぁ とも 考えた。貫禄もあったか。

 イチローがオバマ大統領に会った時に初めて sirをつけたと話した。当然とも思えるが、米国の野球界では 監督にも sirを言わないのであろうかと、ちょっと考えた。

 どなたか知っている人、教えてください。

 Ichiro

 閣下。そうでございます。Yes, sir.  Your excellency. 沖縄占領時代のトップには
 excellencyが使われた。一国を代表する大使にもそうであろう。
 

石の上でも3年

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月18日(土)23時27分5秒
返信・引用  編集済
  石の上でも3年 努力すれば なんとかなるという言葉である。

 というので3年を検討してみた。

 普通3年といえばイエスの社会生活を考える。彼の活動は僅か3年なのである。そして素晴らしい宗教となった。死んだからそうなったのか。ちょっとよくわからない。

 3年といえば、ケネディは暗殺されたのでケネディの1000日ともいう。暗殺されたから仕方がない。

  3年勉強したから素晴らしい研究になるという例は あるかもしれない。なまけものの小生であるから、研究してみよう。
 

両女史記念館英文パンフレット

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月18日(土)17時30分39秒
返信・引用  編集済
  リデルライト両女史記念館の英文パンフレット完成

 小生は下ごしらえをしてプロが訂正したパンフレットが完成しました。プロといっても、日本語がわからないので、このような方法は全くの正解です。そして私の文章とプロの文章を比較すると、私の英語の文章の力量が一目でわかりますが、私はそれを拳拳服膺して、学力の向上に図ります。

 普通はこういう舞台裏のことは書かないのですが、私は批判されても平気な体質ですので、ひとつだけやってみましょう。

 私の文章:Hannah was a superwoman who was able to smell where authority and power existed, and approached any influential persons such as leaders of CMS(前に説明がでている),industrial bosses, state ministers, statesmen, university professors and finally the Imperial Family of Japan successfully.

プロの文章:Hannah was politically shrewd enough to sense where authority and power existed, and successfully approached influential people such as the leaders of C.M.S., university professors, industrialists, statesmen, and ultimately the Imperial Family of Japan.

 翻訳:ハンナは政治的には大変賢く抜け目なく(shrewdの辞書を引いてください)権威とか 権力がどこにあるのか匂いを嗅ぎ分けることができた。そして影響力を与える人々、それは教会の幹部とか産業界のボスだとか、大臣だとか、大学教授とか 最終的には日本皇室の人々に接近したのである。

 コメント:この文章を考えるのは大変難しかった。Ichiro

       最近完成しました。欲しい人はリデルライト両女史記念館へどうぞ。急がなくてもいいです。実はホームページに出そうと努力しています。

  ●ということで、中間管理職とは凄いトラブルになっているのであるが、こういうところでは書けませんねぇ
 

ちと古いか 英語のバイブル

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)20時57分35秒
返信・引用  編集済
  Matthew 8
>The Man With Leprosy
1When he came down from the mountainside, large crowds followed him. 2A man with leprosy[a] came and knelt before him and said, "Lord, if you are willing, you can make me clean."
3Jesus reached out his hand and touched the man. "I am willing," he said. "Be clean!" Immediately he was cured[b] of his leprosy. 4Then Jesus said to him, "See that you don't tell anyone. But go, show yourself to the priest and offer the gift Moses commanded, as a testimony to them."
 

私が興味がある人

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)15時12分12秒
返信・引用  編集済
  私が興味がある人

 光田健輔
 宮崎松記
 増田 勇
  村田茂助  Lepr Rev. 2009 Mar;80(1):92-5. Mosuke Murata, the designator of erythema nodosum leprosum.Kikuchi I.

 Hannah Riddell
 William Jopling
  Richard Harris
 

文献59 らい学級の記録 鈴木敏子

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)10時33分59秒
返信・引用  編集済
  らい学級の記録 鈴木敏子 1963

 自分史を含めて、几帳面に書かれた記録。就職するのもたいへんであった。1960年に全生園分教室に勤務開始。発行が昭和38年であるので、3年間の記録である。生まれは1925年とある。

 歴史は繰り返すというが、当時、学園統合の話があったという。どうも、管理側からの発想というのは変わらないものだ。厚生省の考えは中学は全国で一箇所。四国の青松園、小学校は3箇所、で、全生は残すという。入学者が少ないのでそういう発想か。予算のことが、ショッチュウでてくる。また当時の教師の悩み事、君が代は歌うべきかということが出ている。
 

文献58 全患協斗争史

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)10時27分30秒
返信・引用  編集済
  全患協斗争史 森田竹次遺稿集刊行委員会発行 1987

 判りやすく資料が書かれている。以前全患協ニュースに掲載されていたものを編集した。
 

外国(外国人)とつきあう

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)02時36分8秒
返信・引用  編集済
  昔、外国人とは、宗教と政治の話はするな、と教えられた。いらない誤解をうけないともかぎらない。

 しかし、基本的なことは知りたいものである。特にドイツは昔日本と協力?して敗戦になったこともある。(ちょっと ストレートすぎる表現)

  Ichiroは1989年はニュールンベルグに出かけ、司法裁判所の現在を見学したこともある。

 今回はドイツ国会議事堂の上のほうの”かたつむり式”のガラスの建物が歴史上の写真などが並べてあったが、ヒットラーの写真は出ていなかった。ナチの親衛隊の写真はあった。

 自虐的な 歴史を出すことはない、と悟った。
 
    (Ichiro) 訂正:間違えました。1987年でした。パソコンが別なので本文に書けません。  

石川考:長歌:生まれざりせば

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)00時34分1秒
返信・引用  編集済
  内田守先生の本の題をはこの歌からきている。

 塵の世を遠く離れて 見渡すきわみ
 ●(木へんに楽)色づく 野の只中に
 集いよる我らがまどい
 朝にはメスに刻まれ 夕べには薬を飲みつ
 うつしみの蝕ばめる身を持てあましつつ
 傷つけるけだもののごと
 かにかくに息するむくろ
 名もいらず 恋も思わず
 不治という病に泣く子は
 いたづらに 齢かさねつ
 背負ひ余れる悲しき運命
 のろいてはぐちも出づらめ
 ああ生まれざりせば

 反歌

 人の世に生まれてかなし
 うつしみのなまなかにして
 生まれざりせば
 
    (Ichiro) 桧の影第2巻 1929年にある秀歌。長歌の方は日本ハンセン病文学全集8短歌には採録されていない。
25歳でなくなった。加藤教授は彼の死を悼んで書いている。●は”くぬぎ”。”なまなか”は、中途半端にして、の意味。
 

小島の春:出版秘話

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月17日(金)00時22分54秒
返信・引用  編集済
  前の文献による

 ある日、内田守は光田健輔によばれ、病魔に倒れている小川正子を励ますためにもこの本をぜひ出版してくれ、と頼まれた。しかし軍資金については何の説明もない。筆者は300円の出版費を小川女医が100円負担してくれただけで、残りは本を同僚に買ってもらい、つじつまをあわせた。長崎次郎書店主はクリスチャンで、書店主も一つばくちを打つつもりで、100部増刷して文壇に投入したいとのことだった。●前に改造社に断られている。

 彼女も神経が尖っていて、光田園長が宣伝のため、私の文章を利用していると不愉快な言葉を漏らしたことがあるが、皮肉にもその印税が彼女の療養費となったのである。

 コメント:内田先生は小川先生に100円出せと言ったのだろう。当時の100円はたいへん高価である。小川先生の月給はいくらか知らないが、2か月分の俸給くらいか。
 
    (Ichiro) 最近の版の「小島の春」は 長崎書店と思ったが(確認していない)これは長崎次郎書店とは違う。  

文献57:生まれざりせば

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月16日(木)22時38分45秒
返信・引用  編集済
  生まれざりせば
 ハンセン病歌人群像 内田守人 春秋社 昭和51年

 珍しく熊本医大生化学教授の加藤七三教授の写真がある。内田守の影響もあうが、戦前戦後を通じて患者に短歌の指導を行なう。アララギの同人。昔の教授は幅が広い。

 内田先生もハンセン病と水利用率を考えておられた。宮古島は水が不自由であるから、らいが多いとあり、ハッとした。なるほど。

 内田先生は眼科医としては第一級の先生である。基礎的な方面もらいのネズミも1000匹くらい捕獲し研究されている。おおくの患者に短歌を教えられて、秀歌をつくる患者を発掘されている。ハンセン病療養所に23年間おられ、熊本短期大学教授、西九州大学教授。熊本県立図書館に内田守文庫を寄贈された。
 

文献56:ダミアン

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月16日(木)21時59分23秒
返信・引用  編集済
  文献56:ダミアン
 ダミアン神父帰天百周年記念誌
 イエスス・マリアの聖心会 平成元年

 日本におけるダミアン神父に関する基本的な書。ダミアンの生家は現在美術館になっている。そのなかに一つ日本のものがある。恐らく大風子油を入れていた箱で 梅にウグイスの絵がある。小児時代、神学校にいっていたこと、兄がチフスに罹り、代役としてハワイにいったこと。船は南アメリカを通過する。(20年前にいった人たち25名は遭難した)決心の程が偲ばれる。パリで撮影した写真は大きいのは両親と姉、ちいさいのは兄その他用であった。実際、その後肉親には会っていない。
 写真も豊富で貴重な文献である。他の人との葛藤もかかれている。
 貴重な写真のなかには ウイリアムブリンガムが1889年に撮影した多数の患者にかこまれた、右腕をつったダミアン師がみえる。神父は大柄で健康時は90キロもあったという。
 

日本大使館の人

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月15日(水)23時29分23秒
返信・引用  編集済
  日本大使館の人

 旧東ドイツのドレスデンとかチェコのプラハを歩くと、さっぱり日本人に会わない。これはまだ、学生の夏休みが始まっていないからか。家族、親族といくので、日本語をしゃべっているのがすぐ判る。プラハで、某国日本大使館に勤務するという人が話かけてきた。日本語に飢えるという表現をされていたが、おかしいな、某国大使館では使えないのかな。金曜日から3日間の休みをとってきておられた。別に何もしていないのだが、日本人として大使館に迷惑をかける行動はしないでくださいという話で終わった。そんなに長い話をしたわけではない。

 大使館といえば、いろいろお世話になる。パスポートを紛失する際である。(私が紛失したわけではない)その外に不安な一人旅も大使館にお世話になることがあった。平成2年のことである。
 タイとインドネシアの一人旅で、タイのスケジュールは設定してくれたが、インドネシアの方は、何もわからないので(向こうに行って設定するようだ)、色々考えて、日本大使館の一番近いホテルをとった。ジャカルタ空港では誰も待っていなかった。厚生省の仕事であるが、担当の局長はインドネシアの国会に呼ばれて忙しかったようだ。ホテルから歩いていける大使館では、いろいろ面倒をみてくれて、助かった。暇な時は動物園にいってコモド大トカゲをみた。(大使館が示唆したわけではない)スコールがきて、園内をタクシー様なもので説明を受けた。勿論有料である。
 
    (Ichiro) ちと追加を:基本的に個人旅行に加勢はしませんが、私の場合は厚生省の命令で公費による研修旅行であったからでしょう。  

本妙寺雑感:江戸時代の巻

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月15日(水)20時49分10秒
返信・引用  編集済
  本妙寺雑感

 本当は 本妙寺物語としたいのだが すでに 使われているので (小野友道先生が先に使われた:申し訳ない文献名忘れた)今日は久しぶりに研究しよう。

  ●小生がこの問題で最初に書いたエッセイは
  本妙寺ハンセン病集落の歴史 日本医事新報 3623,63-65,1993でありますが、その後色々判ったことを研究したいと思っている。

 本妙寺の文献としては唯一のものがある。本妙寺歴史資料調査報告書 昭和56年
 (著者は書かれていないが郷土史家の鈴木先生が関わっておられる)

 これは古文書編と美術工芸品編の二つに分かれておる。ここで詳細を語りたいのだが、ちょっとできません。パラパラとメクッタガ、らい患者が江戸時代にいたという決定的な資料はなかった。

 上通りの書店の店主に尋ねたが、ちょっとわからない。それより数十万円の本妙寺の版画を2枚、見せてくれた。貴重なものであるが、これにはらい患者はでていない。熊本県に1枚くらいという珍しいもので、熊本が版元であるが(西南戦争で南に逃げた)熊本には残っていない。本妙寺とか大名は買いそうであるが、版画は庶民のもの、特にお土産品として製造されたので、他国に流失し、店主も東京の古本市で求めたという。ふうむ。

 ●この版画は、本妙寺の資料館、絵ハガキにある絵とは異なる。

 江戸時代熊本随一の観光地であるということは、今まで分かっていたが、今日も実感した。とにかく、熊本に来た人は必ず本妙寺にお参りにいっている。ということは、坂本竜馬はどうか知らないが有名な人で熊本に来たら本妙寺をお参りしているのは間違いない。

 夏目漱石もそこで俳句を作った。(らい患者がいたことは書かれていない)。なお明治時代の常識として、物貰いにらい患者がいることは知られており、また、昭和時代より偏見そのものは、比較すると少なかったと思われる。
 

古池や を英訳しよう

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月15日(水)13時45分12秒
返信・引用  編集済
  古池や蛙飛びこむ水の音

  A green-covered swamp, into which a frog jumps in, .......

  蛇足:こんな表現、英語にあったかな

  ●古池や 最初はcenturies-old pondを考えたが、頭の中はじめじめした季節の寺の小さな池を考えた。しかし、沼としたほうがいいだろう。底はみえない。蛙は、ガマtoadではなかろう。飛び込んだら音はするだろうから、音は書かなくていいだろう。.......はよいんである。あっ 余韻じゃないか。

  ●.....の表現はどこかで見たような気がする。
 
    (Ichiro) into と inは ダブルであるか。  

石原東京都知事の発言

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月15日(水)01時13分36秒
返信・引用  編集済
  今回の東京都議会の選挙は 流れとしては恐ろしい

 石原知事は 「何十年とやってきたベテランが 数週間前からでてきた女性にまけるのだから」と ぼやいていました。

 考えてみれば恐ろしい流れだ。最近買った週刊現代によると、選挙で首相も危ないんだそうだ。首相が落選したら、首相でありえない。どうしましょう。

 Ichiro

 ●衆議院議員のなかから選びなおすんだろうな。
 ●テレビを見ていたら、自民党反首相派の人が、首相は徳がないと言っていた。徳がない人がトップに選ばれること自体が変ではあるが。
 

東国原シアター

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月15日(水)00時57分33秒
返信・引用  編集済
  別名、東国原劇場

 テレビの劇場化は恐らく浅間山荘事件から始まったものと思われる。(テレビでないのには、前に人質事件があった)NHKなどは24時間放映していた。人々は次に何が起こるのかと思って興味津津である。ということで、私はニュースショウは喜んで見る。

 しかし、この前の何でも鑑定団の鑑定者である学者の発言は面白かった。篤姫に関して小松の手紙がでたのであるが、シン助さんが、篤姫はみましたか、と質問したら、嘘ばっかりで、全く見ませんと答えていた。

 学者はこうなければいけない。●すみなせん。へんな発言でした。
 

Re: ドイツ人と薄暗さ

 投稿者:ママ  投稿日:2009年 7月14日(火)07時33分48秒
返信・引用
  > No.4998[元記事へ]

Ichiroさんへのお返事です。

> ドイツには、3回行っている。冬期を避けているので、冬の薄暗さは知らない。6月7月にいくと、夜は10時近くならないと暗くならない。

高緯度の暮らしは体がきついです!
今は昼が長くて寝つきが悪いし熟睡できません!
冬は寒いしすぐ暗くなるから活動的な気持ちにならなかったし・・・。

>  しかし、夏に行っても、大体レストランとか教会は薄暗い。昼でもそうである。注文をすると蝋燭をつけるところもある。ちょっと思ったのだが、ドイツ人は薄暗い所が好きなのかな。
>

室内では薄暗いのが好きみたいね。電気つけててもなんか薄暗いもの。
蝋燭つけるのも好きだし。

でも日光に当たるのは好きなのよね。レストランで屋外席があったら必ず座るもの。
私たちなんか日光を避けて室内へ入るけれど。

皮膚科には過度の日光浴を避けるように警告したポスターが掲示してあります。
皮膚がん予防のためのようです。
「お肌は日光を(浴びたことを)忘れられません」と書いてありました(怖っ!)

>  とまあ、思ったのであるが、よくわからぬ。

異文化の人とつきあうのは大変であります!
でも頑張りましょう(笑)
 

貞明皇后の歌集

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月14日(火)07時00分34秒
返信・引用  編集済
  貞明皇后の歌集があったので立ち読みいたしました。

 つれづれの は昭和7年に らい患者に関して5首作られたうちの一つです。もっといい歌もありましたが、これを選んだのはどうしたわけでしょうね。大正時代にもらいとは書かれていないが、そういう方への心配りの歌があり、他にもある。
 漢詩もされているのは吃驚である。明治43年には、やはりそういう人への心配りの漢詩もある。色々な大事件もあり、いろいろな和歌も歌われているのは天皇家の一員であろうか。赤十字に関しても歌われており、関東大地震もあった。日本は戦争をやっており、被害者もでている。ベルツもあった。歌の数はスーパーマンの明治天皇や昭和天皇より少ないかもしれない。

ハンナリデルに関してあるかと思ったが歌はなかった。

 前にも書いたが、貞明皇后について書く場合は、昭和6年以前、ハンナリデルとの関係もあるので、それから書いてほしい。

 文献:「貞明皇后御集」を拝読して 西川泰彦 錦正社 2009
 

熊本の書店にて:あやしい出来事

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月14日(火)06時21分53秒
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  いつも新しいハンセン病関係の本を調べているが、あれっ ない。昨日の話である。

 大体そこの書店では、郷土の本の所にハンセン病関係の本は集めてあった。地元の熊本日日新聞発行の本もあるので、また、ハンセン病と縁の深い県でもあるので、今まではよかったのであるが、昨日行くと、そこにないっ 別の所に移動したわけでもない。店員に探してもらったが、よくわからなかった。しかし1冊のハンセン病関係の本と、市民学会年報はあった。

 別の書店にいった。ここは大きい書店ではあるが、今までここで探したことはない。レジの女性に聞くと「郷土の本のところにあるでしょ」 調べたがない。また聞くと「福祉の所にあるでしょ」 調べたがない。

 男性の店員に聞くと、検索してはくれたが、珍しい本は みつけてくれたが(検索した結果の紙のみもってきた) 今発行のハンセン病の本はない。もうっ どうなったのかな。1冊と年報はあったが、私の希望するのはなかった。

 ●以前なかなか入手できなかった1Q84が山積みされていましたよ。
 

ドイツ衛生博物館をみて、国立ハンセン病資料館に物申す

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月13日(月)23時32分43秒
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  ドイツ衛生博物館を見学して、国立ハンセン病資料館に物申す。

 ドレスデンにあるドイツ衛生博物館は敷地も広いし、建物も大きい。ドイツ人的ハルトネッキッヒカイト、なんというか、徹底的に集めた衛生資料を集めて展示している。今回の旅行はここを訪れるのも目的の一つであった。9月に開かれるムラージュ(皮膚病などのろう細工)の学会をするといったので、相談にいったのだが、その目的は十分に達成できた。

 博物館とか、資料館といっても、目的があろう。その時期時期に、いろいろな特集もある。今回は 戦争と医学の特集をやっていた。大体その時代はクリミア戦争(赤十字ができた)から、今のアフガニスタン戦争に至る資料および写真が並び、戦争により医学が進歩するといわれていますねぇ と言ったらそうだといわれた。

 蛇足:日本の戦前の徴兵検査の写真もありました。各国のもありましたが、似ていますね。

 個人の見学者もぼつぼついたが、子供たちが集団で見学していた。入場料は6オイロ。

 写真、実物などで、結局戦争反対ということを教えているのである。

 翻って日本の国立ハンセン病資料館の存在理由は明白であろう。私は最初の主に多磨全生園の入所者に感動したのである。一人平均10万円以上、100万を寄付した人も多かった。その熱意は厚生省を動かしたのである。

 日本の独特の歴史を世界に知らせるためには、もっと英語でわかるような仕掛けが必要である。さしより オーディオガイド(英語版)を作ってください。ありましたかな。
 

ドイツ人と薄暗さ

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月13日(月)22時57分27秒
返信・引用  編集済
  ドイツには、3回行っている。冬期を避けているので、冬の薄暗さは知らない。6月7月にいくと、夜は10時近くならないと暗くならない。

 しかし、夏に行っても、大体レストランとか教会は薄暗い。昼でもそうである。注文をすると蝋燭をつけるところもある。ちょっと思ったのだが、ドイツ人は薄暗い所が好きなのかな。

 昔、大塚薬報だったかに、ヒットラーを見たというエッセイがあった。そこに書かれていたのかどうか、忘れたが、ヒットラーが獅子吠えするのは必ず、薄暗い午後4時であったとある。薄暗いその時間に魔法にかけられるのではないか。

 とまあ、思ったのであるが、よくわからぬ。
 

今評判の1Q84の 感想

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)23時28分36秒
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  1Q84 は 1984年を切り取った、壮大な愛のテーマの小説である。作家は村上春樹。新潮社。

 小説を読まないIchiroにとって、頓珍漢な感想である可能性は大きい。物語は、何をいわんとしているのか、よくわからないのであるが、一つのテーマは愛という普遍的なもののようであった。

  主人公は2人。その接点は小学校時代である。交互に物語を運ぶ。男性は評判のよい数学の予備校教師、30歳というから、生まれは1954年、すなわち昭和29年か。

 ●三島由紀夫のある小説にあるが、私の記憶は生まれた時に母の陰部をみた、と主張するのであるが、この主人公も、幼児時代に母親が浮気をする所を見たという記憶がある。母が父親に離れていったという伏線である。いやもっと恐ろしい、男性の本当の父親は、浮気相手であるということのようだ。

 女性の主人公は、これもよくわからぬ。怪しからん男性を消すという仕事のようだ。この人が男性の主人公と小学校時代に、一度だけ、愛を感じる。

 男性の主人公はある雑誌社の編集人らしき人から、不思議な文章のリライトを頼まれる。同義的に怪しからん話であるが、日本語の怪しい17歳の美少女の書いた文章をある文芸の賞を狙うのである。芥川賞のようである。それは賞を獲得し爆発的に売れるのである。

 この小説の場面は虚構もあるらしく、その場合は月が2つにみえる。さすが物知りの私も月が2つ見える場合は、どうもよくわからない。精神病の症状にもあるのか、専門医に聞いてみよう。

 私(Ichiro)が某大学にいた時は、安保反対の時代であった(昭和35年)。昭和43年ころは、もっと赤軍派が先鋭化していた。ところが これがこの小説にでてくる。

 ●某ハンセン病療養所の副所長も、この流れをくむひとであった。これは省略。

 これからが、村上春樹さんの独壇場である。この長野県か山梨県に壮大な戦争をした連中の一部が、宗教化し、オーム真理教の教祖らしき人物がでてくる。このおっさんは、いろいろな女にも交わり(幼女ものようだ、けしからん話であるが)子供が沢山生まれる。この子供の一人が怪しい日本語を操る美少女である。また教祖はそういうのも犯す。というわけで正義の味方の女性の主人公は ホテルオークラの特別室で教祖を殺すのであるが、その前の問答は聞いてもさっぱりわからない。教祖は殺されることを承知するのである。へんなの。

 ●●愛の物語というのは、男性の主人公が生き延びるのは、教祖と殺人者が死ぬ必要があった。(よくわからない話である)そしてその話は男性につうじるのであろうか。

 >男(教祖)は言った。「私にも愛する人々がいた。さぁ それぞれの仕事を片付けてしまおう。青豆さん(女性のキラー)、君は恐ろしく有能な人だ。わたしにはそれがわかる。
(中略)「あなたも恐らくとても有能で優秀な人でしょう。あなたを殺さなくてもすむ世界がきっとあったはずだ」「その世界はもうない」



 主人公はすでにわかれている母親の浮気を立証するために旅行する。つまらん父親が出てくるが、なぜか成績のいいNHKの集金人なんだそうだ。要するにこの主人公は、浮気相手と母親の子供である。

 2つの月がでていた?高速道路から下に降りた女の主人公は、今度はまた高速道路から降りようとして、現実の世界なのか、下に降りれない。用意したピストルで自殺を遂げる。あと、判らないのは、小人(リトルピープル)の出現と、「空気さなぎ」である。もう、わけのわからない小説だ。

 何をいっているのでしょう。

  ●私の1Q84は 前に書いた。それは私が最も生産量が多い年で、Pubmedに10の論文が記載されている。某教授から、当時吃驚していたと、大分後になって聞いた。今考えると、その後、数より質にスイッチしたのである。ああしんど。
 

宮古島初の古い遺跡から筋肉の発達した人骨

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)22時26分56秒
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  宮古島で初の古い遺跡から人骨発見

http://www.miyakomainichi.co.jp/modules/bulletin/article.php?storyid=5015



 西九州大学教授は以前より島尻にある長墓(ながぱか)遺跡を発掘、最近筋肉の発達した人骨を発見した。いままでは、頭蓋骨と長幹骨は多数発見されていた。(6−70体分見えている)

 長墓は私もしばしば訪れていたが、それを作られた年代などもハドソン教授により発表されている。私もだいぶ前にそれを引用して書いたが、ちょっと文献を忘れた。

貝斧(かいふ)と装身具も同時に発見された。なお貝斧は2200年前かとある。私が拾った貝斧はもっと新しいようだ。(宮古島市の博物館に寄付してある)
 

ベルリンの壁:雑感

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)17時20分43秒
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  ベルリンの壁を私が最初に見たのは1987年(国際皮膚科学会がベルリンであった)、壁が壊れる2年前でした。ブランデンブルグ門の手前で、大きい木製のプラットフォームに乗ってみました。壁の西ベルリン側には、大きな落書きがあり、(現在でもドイツの人は落書きが好きですね)数百メートルの干渉地帯があり、その先の建物は無表情ですね。なぜかヘリコプターや救急車が喧しい(救急車の音は今も同じでした)ところどころ花が置いてあるのは、脱出しようとした人が犠牲になったところでした。

 今回ベルリンにいきましたが、壁はベルリンには3か所残っています。一番長いのは1キロ以上あり、恵楓園の壁とどちらが長いか、調査してみましょう。ブランデンブルグの壁専門の店は、どうも素人のようですが、それでもいろいろ教えてくれました。移築した壁は西ドイツを含めて日本にもあるし(宮古島です)、そういうのを聞いたら知りませんという答えでした。 別の壁博物館は専門家がおられると思いますので、そこでは詳しいことがわかるでしょう。

 今回はその一番長い壁(川に沿っている)を見てきました。ちょっと不審に思ったところもあります。東ベルリン側ですから、東西が一緒になった後の落書きと思われます。なお、歴史を物語っているのは当然です。

 ブランデンブルグ門のところには壁はなく(見逃したのかもしれない)、それでも地面に壁があったと書かれていた所がありました。壁から逃れようとした方々の墓名碑のようなものがありました。

 ブランデンブルグ門から東ドイツ側に大きな道、建物が並んでいます。これも東ドイツの歴史を示しているんだそうです。スターリン道りはマルクス道に変更になりました。勿論スターリン像はなく、代わりと言ってはなんですが、マルクスとエンゲルスの大きな像がありました。今次の経済危機で、マルクスは見直されたと自慢げでしたが、はて、小生にはわかりません。
 

訂正致します。

 投稿者:ルリカケス  投稿日:2009年 7月12日(日)16時41分22秒
返信・引用
  私が園を出ました日は7月7日(火曜日)朝8時頃に出ました。

眼の手術が延びましたので、私は鹿児島県の谷山に行きました。
免許証の切り替えの為です。

それで7日〜8日迄、点眼をしながら、体調を整えまして会場に行きました。
所が、適正検査を何と1回目でクリヤ致し、元の資格の大型二種を頂きました。

運が良いのか?解らないです。現在仕事は辞めています。
来月の夏期大学に行きます。

未だ未だハンセン病の歴史他勉強不足です。
最後に先生から、頂いた本他総説現代ハンセン病医学書他をハンセン病文庫に
寄贈いたし、医学書コナーを設けました。連絡まで。
 
    (Ichiro) 大型2種免許延長 おめでとうございます。谷山にありますか。
私が学生時代には そこは鹿児島市でなく 谷山町であったと思います。
宮古南静園へは、カムリに乗って、フェリーで行きました。
 

御帰りなさい!

 投稿者:ルリカケス  投稿日:2009年 7月12日(日)16時15分14秒
返信・引用
  Ichiro先生へ

 先生ドイツは良かったですか?私と入れ違いでしたね!

私は14日(火曜日)朝早く園を出ました。
私の目的は、眼科受診いたし、入院の計画で菊池に行きましたが、近藤先生&熊丸名誉園長の診察の結果延期になりました。まだ目の中で癒着があり、落ち着いてから、近藤先生が手術することになりました。

でも目的は別の件もあったのです。現在大型二種免許証を持っていますが、医師の診断書では、適正検査が延びることになりますが?
免許の期限が切れると、しばらく車が乗れないので、6割方諦めていました。
熊丸名誉園長から、諦めてはと言われ解りましたと答えました。

さて手術が延びたので、直ぐに鹿児島の谷山に行きました。
何とか2日間ホテルに泊まったら、免許はどうにかなるだろうと思いまして、眼科の薬を点眼いたし、体調を整えまして、会場に行きました。

そこで起こった事が、適正検査を1回目でクリヤいたし、半日で元の免許証の資格を取りました。

それで、明後日県立大島病院の眼科医に近藤先生の紹介状を持って行きます。
また近い内近藤先生が和光園に来ますので、手術を9月中頃にお願いする積もりです。
基本科に用事がありますので。

では失礼いたします。これから先生方に手紙を書きます。
 

生きているらい

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)04時13分4秒
返信・引用  編集済
  電脳聖書より マタイ伝です。

 >8:1 彼が山から下りて来ると,大群衆が彼に従った。 8:2 見よ,一人のらい病の人が彼のもとに来て,彼を拝んで言った,「主よ,あなたは,もしそうお望みになれば,わたしを清くすることがおできになります」。

8:3 イエスは手を伸ばして彼に触り,こう言った。「わたしはそう望む。清くなりなさい」。すぐに彼のらい病は清められた。 8:4 イエスは彼に言った,「だれにも告げないようにしなさい。ただ行って,自分の体を祭司に見せ,モーセの命じた供え物をささげなさい。人々への証明のためだ」。

 ●ドイツ国内とチェコに小旅行をおこなった。ドイツ国内のホテルにはギデオン協会からの聖書が寄付されている。版は2000年より少し新しいが、leper leprosyの取扱は従来どうりであった。ドイツ語、仏語、英語の辞書が入っていた。

 版が新しくなれば いいようであるが......

 Ichiro
 

挨拶の大研究

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)00時33分52秒
返信・引用  編集済
  日本人の挨拶のしかたは、西洋ではちょっと批難されているようです。

 さっぱり日本人がいない、ドレスデンで3回も会った日本人の主婦(西洋のことに詳しい)がおられますが、空港でそういわれていました。

 私は外国人と挨拶するとこは、目を直接見つめて、しっかり握手をしますが、日本人のスポーツ選手で そうしなくて批難されている例があるといわれました。ハッギングや ネッキングも盛大にやるべきでしょう。

 妻と私がベルリンの空港に着いたときに、娘と再会したのですが、着く前はそわそわしていた娘が そう感激的な再会でないのに、ドイツの知人が違和感を持ったといいます。

 日本ではそう抱き合いませんねぇ。

 ●蛇足ですが、英米人と会う時は彼らと同じしぐさを私はしています。肩を竦める
(shrug one's shoulder)などは やたらにやると日本人にはキザに思われますね、
 しかし、目をみて挨拶する、しっかり握手をする、は 見習うべきでしょう。

 ●皮膚科の話をして申し訳ないが、ある種の皮膚病は手掌に盛り上がりがあり、これは握手の習慣がしっかりある西洋がよく見つかるとあります。
 

マイケルジャクソンの皮膚病

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月12日(日)00時25分47秒
返信・引用  編集済
  皮膚科医しか そんなに興味がないようです。Wikipediaには全然書いてない。

 昨日、ドレスデン空港で暇があったので、雑誌をみていたら、早速マイケルジャクソンの特集の本がでていましたが、皮膚病のはなかったですね。鼻のクローズアップはありました。たしか2番目の奥さんが、皮膚科の看護婦さんとあり、まあ、そういうことで知り合ったのかもしれません。
 

ドイツ大旅行終了

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月11日(土)21時39分26秒
返信・引用
  ドイツ大旅行(私にとって)は無事終了しました。刺激も受けましたが、この掲示板に日本語で書けないのが、まあ、しかたないとはいえ、残念でした。

 ヘンな英文や、ヘンなローマ字は、面白いのだけ、日本語に書き直そうと思います。

 Ichiro
 

Ichiroさんへ

 投稿者:ママ  投稿日:2009年 7月10日(金)18時09分3秒
返信・引用
  ドイツやチェコからの投稿で、ローマ字しか使えないのはわかりますが・・・

日本語のローマ字表記と英語文が混在・・・

非常〜に読みにくいです。読む元気ないです!
帰国したら日本語に直してくださいm(−−)m
 

Re: ママさんへ

 投稿者:ママ  投稿日:2009年 7月10日(金)18時00分41秒
返信・引用  編集済
  > No.4985[元記事へ]

あずきさんへのお返事です。

> Ichiroせんせいは、帰国前のママさんのいらしゃるドイツに行かれたのでしょうか?

実はそうなんですけれど、途中で娘が熱を出して、私は旅行から脱落し、ドレスデン・プラハ・マイセンには同行できませんでしたf^^;

幸い子どもは回復が早くて、数日前から「つまらな〜い。つまらな〜い」を連発するので、老体にムチを打って(?)近くの公園へ連れて行っています(T.T)

> 海外での実生活は大変なことだろうとお察しいたします。詩友にドイツ系の会社に勤めている方がいらっしゃいます。ドイツ語はかなり堪能な方ですが、それでも時々出張でドイツに行った時には「まさにドイツ語のなかを行軍する思いです。」とおっしゃっていました。
>
> どうぞお元気でお過ごしくださいね。

温かい励ましのお言葉ありがとうございます(T.T)
言葉が不自由なのは実際つらいものがあります。
子どもの病院にも夫に付き添ってもらわなければ行けませんし(←私の語学力不足によりますf^^;)夫もお医者さんの説明が全部わかるわけではない(!)ので、今まで軽い病気で済んで助かっています。

綺麗な白い桔梗の花に心が癒されました。ありがとうございます。
帰国まであと2ヶ月間、ドイツでの日々を大切に頑張っていこうと思います。

日本は梅雨明けが待ち遠しい季節ですね。
あずきさんもお体を大切になさってくださいm(−−)m
 

Doitujinwa usugirainoga sukika

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月10日(金)13時52分19秒
返信・引用  編集済
  Restoranno shokudou  ya kyoukai(church, Kirche) nado wa taihen usugurai . Shokujidoki chuumon-ga haittabaai rousoku wo tukeru baaimoaru.

Mukasi yonda honde Hitler ga enzetu surunowa usugurai tokiwo erabu to kiitaga, hitowo mahounikakeru jikan nanokana.

Ichiro @ Dresden

  Darkness at restaurants and churches.

  While traveling in Germany, I found that the restaurants are dark, compared with Japanese counterparts.  Candles may be lighted when an order was accepted.  In magnificent traditional churches, there is also darkness.  Will it cause a religious feeling ?

  I once read in a book that Hitler used to make enchanting addresses, in darkness, such as 4 p.m. in winter.

Ichiro  @ Dresden
 

ママさんへ

 投稿者:あずき  投稿日:2009年 7月 9日(木)14時49分12秒
返信・引用  編集済
  Ichiroせんせいは、帰国前のママさんのいらしゃるドイツに行かれたのでしょうか?
海外での実生活は大変なことだろうとお察しいたします。詩友にドイツ系の会社に勤めている方がいらっしゃいます。ドイツ語はかなり堪能な方ですが、それでも時々出張でドイツに行った時には「まさにドイツ語のなかを行軍する思いです。」とおっしゃっていました。

どうぞお元気でお過ごしくださいね。
 
    (管理人Ichiro) komento arigatougoyaimasu. kyou doresuden(Dresden) wo tatte kikokuitasimasu.
roomaji sikatukaenainode koredesitureisimasu.
 

rurikakesusanno keijiban ni toukou

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)16時20分0秒
返信・引用
  Rurikakesusan no burugu ni toukousimasita. hensinn (RETURN) wo tukattanodesuga Romaji sikadekinainode yondekudasaine.

Rurikakesusan he   Ichiro yori
 

Deutches Hygiene Museum 2

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)15時27分47秒
返信・引用  編集済
  This museum is very very interesting, and is being visited young people in groups.

This museum is divided in sevaral large rooms, each of which has a theme.  I found moulages (wax models) in three rooms, of dermatoses, especially of venerial diseases, and some of leprosz.  In each room, there are large interesting instruments, photographs, and others with explanations.  Audio guides are available, but it said it will need more than 3 hours if you hear every one of them.

There is a shop with lots of books and others.  The postcards it publishes include various interesting pictures.  Two bono bono monkeys were kissing, probaly the origin of kissing ?  A dog on which Pavlov experiment the flow of gastric jouce was on a postcard.  There are other postcards of interest.
 

I can read Japanese, but I cannot write

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)00時52分47秒
返信・引用  編集済
  In this version of internet at a Dresden hotel, I could read Japanese, but I could not write Japanese.  In Prague, Japanese could be displayed. Only roman letters were shown.
  At any rate, after I study, I may be able to use this like in Japan.

  Ichiro @ Dresden
 

Deutches Hygiene Museum

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)00時44分29秒
返信・引用  編集済
  Today I again visited the Deutches Hygiene Museum at Dresden. This is a wonderful musium and it is worth visiting, not only to persons related in medicine, but also to people at large.

Today I could meet a lady researcher responsible for the wax models for one hour.
 

Doitsugo de Donaru

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)00時31分39秒
返信・引用
  At the main Prague station for Dresden, we found that our seats were taken by some others, while we had reserved the seats.  My family said in loud voice that these seats were reserved by us.  It seemed that my family's German had improved a lot.

  It reminded me of a similar incident in China.  We had reserved seats but Chinese people, while knowing that these were reserved, had occupied the seats.  At this time, railway policemen removed them.
 

Various Mistakes. pekori

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 8日(水)00時23分6秒
返信・引用
  I am sorry.  I have made many mistakes in English.  Pekori Pekori

  Back again in Dresden.  I feel at ease in Germany, while it was not so in Czchoslovakia.  Our idea was to consume all the local Czecho money to the best of our ability.  The last money should be consumed by taxi, but the taxi driver was the so-called bad taxi driver, and we had to pay an extra 5 (Euro).
 

Nihon no Taishikan no Hito

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 7日(火)13時57分48秒
返信・引用  編集済
  A Japanese man talked to us while we were looking around in a turist shop in Prague.  He said  that he was thirsty for the Japanese language.  He was taking a three day holidays starting on Friday.  However, we thought he should have heard Japanese at his workplace, which is a Japanese Embassy. When we parted, he said, do not cause trouble in foreign countries.

  While abroad, we owe much to the Japanese embassies.  The most important is the case in which we lost passports.

  In January 1990, I was ordered to study the leprosy conditions in Thailand and Indonesia.  I was given the official passport.

  My Thiland schedule had been planned beforehand, however, that of Indonesia has not been planned.  There was the Diet of Indonesia was in session and the person I should meet was not available.  At any rate, I had reserved a hotel, near the Embassy.  There was no one welcoming me at the Jakarta Airport.

  It was revealed that I did the right decision. The people at the Embassy were kind, and I could visit a university hospital while waiting for a meeting of a high ranking officer, who was a graduate of Tokyo Medical and Dental University.

  My journey was recorded in the Journal KIKUCHI-NO in three parts, in 1990.

  Ichiro @ Plague
 

Prague is beautiful

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 7月 7日(火)13時47分59秒
返信・引用  編集済
  From morning till midnight, the central part of Prague, with traditional churches and hotels with a central place, and restaurants, souvenior shops,  is full of turists; congested with people of various origin.  They include people of all colors, German people, Latin people, Slav people, Africans and Asians; the last of which are almost Chinese people.  What surpirzed me is the frequent activities of garbage collecting trucks.

  Ichiro @ Prague
 

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