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昔はハンセン病療養所に勤務する職員が得られず、管理職は苦労していた。これは医師も同様で、園長がくどいていたこともある。愛楽園園長であった早田皓は深敬園の綱脇龍妙師の従弟で、当初は深敬園九州分院にくるように口説かれたとある。<ref>綱脇龍妙遺稿集 綱脇美智 昭和51年</ref>普通の病院と異なり、専門性もあるので、医師、看護師、事務職員もハンセン病療養所間で移動もあった。仕事のため、普通公務員ではやらない、降格人事もあった。ハンセン病療養所では、職員が職員の親戚を口説いて職員にすることは普通のことであった。
あまりお手盛り人事であると、不適当な人物ということもある。特に就職時、人事を公正という文句が自治会より出たところもあった。特に僻地には医師がなかなか得られず苦労していた。僻地でなくても専門科によってはなかかか得られず、他園の医師に援助を求めることも普通であった。
職員は入所者からみたらタイヘンなプレッシュアであろう。感謝の言葉を述べた人や、悪口を言われる入所者もおられる。某研究家はハンセン病療養所の医師は「悪魔の飽食」とある雑誌で公言しているが、私は断固抗議を申し込む。しかし、最近は会わないので言っていない。
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