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看護婦冒険旅行家Kate Marsdenの業績

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月22日(月)08時50分23秒
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  彼女は生涯は1859-1931年ですので、リデルより4年遅く生まれ、1年早く死んでいます。父親はロンドンの弁護士。8人兄弟の末っ子。たいへんおてんばであったという。家族のなかには結核で亡くなった方が多いので自然に家庭看護をしたかもしれない。父親が若死したので病院の見習看護婦になった。若くして経済的苦労をしたとしたらハンナ・リデルと同様である。

 当時彼女はブルガリアの戦争にいく志願をしている。トルコと戦争をしたロシア人を介護したようであるが、これに関しては資料にはおざなりにしか書いてない。イギリスに帰り正規の看護婦になり、婦長になる。なにか事故があり(詳細不明)一時うつ状態になる。回復したあと罪の意識があり、ハンセン病のハワイの療養所に勤務したいと申し出、断られている。インドにいこうと考えていた時、ロシア赤十字から招待をうける。先の戦争で看護の功績があったというのである。待ち望んだチャンスである。彼女はロンドンの宮殿で皇太子妃に拝謁、ロシアの女帝に親書を書いてもらう。

 こういう発想は誰でもできないと思う。(1890)ナイチンゲールの助言もうけた。エレサレム、コンスタンチノープルと旅は進む。彼女には協力者がいた。

 それから現在のトビリシ(グルジアの首都)にいく。シベリアの北部に自生しているらいの薬草の話をきく。1890年11月。モスクワに到着。大主教とかトルストイ伯爵夫人の支援をとりつける。北東シベリアを目指したが、バイカル湖近くのイルクーツクで支援委員会を作った。(イルクーツクらい療養所を創設したらしい)
 その後の活躍も述べられているが、当然、彼女に対しては他の人からの批難も多い。リデルの活躍と比べるとこちらが早いのである。このプロジェクトに協力した人も多い。疑問の点もあるが、イルクーツクらい療養所に入院した入江さんとの接点で大きな興味をもっている。

 Ichiro

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