新着順:494/1991 記事一覧表示 | 《前のページ | 次のページ》

福沢諭吉とハンセン病

 投稿者:Ichiro  投稿日:2009年 6月21日(日)14時15分44秒
  通報 返信・引用 編集済
  綱脇龍妙遺稿集 259頁

 >私が深敬園を創立して、どこからも1銭の援助はなく「十万一厘講」というを組織し、悪戦苦闘していた時、当時大崎の日蓮宗大学教頭の故柴田一能先生が、生徒にそれを勧誘して、すこしできたから来いとて訪ねました。その夜のお話に「自分が慶応義塾を卒業する半年前であったか、福沢諭吉先生宅にまぬかれ、仏間にとおされた。「君は日蓮宗の僧侶だろう。宗教家で経済の学校を卒業してなにをなすか。みよ日本にはらい患者がいく万人もあって、国の体面を汚していることおびただしい。日蓮宗にはらい患者が法華経にすがって至る所集まっているではないか。これは幸なことである。君は今日即時学校を退いてらい患者の救済収容に当たれ世話をいたせ。医療の方は北里にやらせ。資金の方は自分が心配してやるから断固決断せよ」といわれた。柴田一能先生はとんちを利かせ、半年後に卒業するから、と言われた。福沢先生は柴田先生の卒業直前になくなられたので、そのままにしていた。
 柴田先生は留学され、あとで、綱脇が深敬病院を創立したのを知った。生徒に言って一厘講を集めたという。
 これは綱脇が昭和38年、はちす婦人会講演で述べたもの。

 ●北里先生は、どうも国と袂をわかれたような感じで、最初は別であるが、後からはハンセン病にあまり関心がなかったのではないか。

 ●皆さんのご意見は如何?
 
》記事一覧表示

新着順:494/1991 《前のページ | 次のページ》
/1991